このページでは、『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』の話題をお伝えします。
大ヒット韓国ドラマ『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』のヒロイン、ヘスや皇子は実在の人物なのでしょうか?
早速、見て行きましょう。
韓国ドラマ『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』ヘスは実在の人物?
ヘスは、現代ではコ・ハジンと言う名前の女性でした。
タイムスリップにより第8皇子ワン・ウクの妻、へ氏の従兄弟ヘ・スに魂が乗り移ります。
王旭(ワン・ウク)の妻は、宣義王后となっています。
ヘ・スが宣義王后の従妹と言うことは、貞徳王后の兄弟の子供だと考えられます。
その中にヘ・スと言う名前は載っていないそう。
記録にないということは、ヘ・スは架空の人物だということになりますね。
ヘ・スとワンソのエピソードは実際にあったこと?
韓国ドラマ『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』は、リメイクドラマです。
中国ドラマ「宮廷女官ジャクギ」の原作小説「歩歩驚心」をもとに作られました。
韓国では高麗王朝の歴史上の皇子にあてはめてキャラクターも史実を基に再現しました。
『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』では、政略結婚や婚姻政策、王権争いは史実と変わりなく描かれています。
イ・ジュンギが演じた第4皇子ワン・ソが養子に出されたことも事実。
そして、養子に出された理由は、占いによるもの。
その内容は、ワン・ソのせいで皇宮に災いが起こると言う理由です。
後に、このことが原因でその身分を回復するため、暴君へと変わってしまうワン・ソ。
このエピソードも史実を基に作られました。
しかし、第4皇子ワン・ソの顔の傷は脚色されたオリジナルとなっています。
第4皇子ワン・ソは、太祖ワン・ゴンと王后ユ氏の間に生まれた4番目の息子です。
ドラマでは幼いころに母親に顔に傷を付けられて、養子に出された悲しい過去を持ちます。
ヒロインヘ・スと関わる皇子たちのシーンについては、史実に沿っていない部分もあります。
皇子たちの史実記録
名前 | 実際に記録にあった内容 |
第1皇子ワン・ム | ・第2高麗王 ・何度も命を狙われる ・即位して2年で亡くなっている ・暗殺とまでは断定はされていない |
第3皇子のワン・ヨ | ・第3高麗王 ・野心家でありその性格は傍若無人であった ・在位4年で病死 ・ワン・ソがワン・ヨを助けていたとの記述が残っている ・自身の死後の息子の面倒をワン・ソに託していた |
第4皇子のワン・ソ | ・高麗第4代皇帝「光宗」 ・皇帝になってから2つの政策を実施 ・身分制度の廃止や国の基盤を作った ・皇帝の力を強めることに成功 ・『血の君主』と恐れられていた ・949年~975年まで在位 |
第8皇子のワン・ウク | ・太祖ワン・ゴンと王后ファンボ氏の間に生まれた第8皇子 ・第5皇子と言われている説もある ・王座をかけた激しい後継者争いに参加 ・ワン・ソが王になった時点で王座を断念 ・汚い手を使って兄弟を欺いてきた ・病死なのか殺されたのか、はっきりした最期の記録はない ・初めの妻は亡くなり、中々次の婚姻をしなかった ・子供は5人で男子が3人、女子が2人いた ・ワン・ウクの子孫が後に第6皇帝になり血統を残す |
第9皇子ワン・ウォン | ・史実では気性の粗さが目立つ皇子 (ドラマでは長いものに巻かれるタイプ) ・死因等はドラマと一致 |
第10皇子ワン・ウン | ・多くの見解があり、死亡原因も暗殺か濡れ衣か詳細が不明な部分がある人物 ・妻はいなかった (スンドクの存在はドラマオリジナルになります。) |
第13皇子のペガ | ・第5代目皇帝(ワン・ソの息子)の元皇后と恋仲になる ・妊娠させてしまったことで流刑 ・その子供を第6代皇帝が養子にする ・子供が後の8代目皇帝となり38代目までペガの血縁が続く |
史実でのその後
実際の史実で高麗王に君臨したのは、第1皇子ワン・ム。
ここからは、『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』に出てくる皇子の史実に残っている記録をご紹介します。
第2高麗王ワンム
ワンムは高麗時代初代王、太祖と荘和王后である母親の長男として誕生しています。
母親の荘和王后が中国からの帰化人と言うことで苦労が絶えない人生でした。
ようやく高麗王の座についたもののわずか2年で病死しています。
そのため、暗殺説のうわさがあったとのこと。
第3高麗王ワンヨ(定宗)
初代高麗王の太祖の2番目の息子としてワンヨは生まれています。
ワンヨはワンソと同じ母親から生まれた実の兄弟。
ワンヨはワンソの実の兄になります。
性格は野心家。
王権を得るために強引なやり方をしたので人々からの反発が多かったそうです。
理由は、母方の親族からの期待が大きかった為、その期待に応えようとしたともいわれています。
在位後、わずか4年で亡くなります。
高麗王の座は弟のワンソに引き継がれることに。
第4高麗王ワンソ(光宗)
第3高麗王のワンヨ(光宗)が病死。
その後、ワンソはその後を継ぎ第4高麗王となりました。
ワンソは、949年~975年まで在位という長きに渡って在位していまs。
在位7年後に、奴婢を廃止。
階級の低い者たちの身分回復に努めたそうです。
内容は、階級の低い者たちが作った作物を支配していた豪族たちを排除。
身分制度を廃止し、王権の強化にも努めました。
これにより、高麗初期に国家の基盤を造った王として評価をされています。
しかし、一方では反発するものに対して容赦なく処刑。
特に国を治めてからの後半は豪族や親族に対する排除は厳しさを増していました。
罪もなく殺された者も多かった、というのは有名な話です。
そんな恐ろしい一面があったため『血の君主』と呼ばれています。
歴史上では、『残酷な皇帝』や『暴君』としてその名を残しています。
史実でも第4皇子ワン・ソは王になって長く国を治めた人物です。
ドラマのような顔の傷は実際には無く、実際は心の傷を表していたようです。
そんなワンソ光宗も975年7月4日に病死してしまいます。
後継者は、光宗の長男である景宗が第5高麗王としてワンソ光宗の後を継ぐことに。
第3皇子ワン・ヨと第4皇子ワン・ソの仲やウクの最期
ドラマ『麗』では、第3皇子のワン・ヨと第4皇子ワン・ソの確執が大きなテーマになっていましたよね?
同じ母親から生まれたのにも関わらず、だまし合い、壮絶な権力争いが絶えませんでした。
しかし、実際にはワン・ソがワン・ヨを助けていたようです。
ワン・ヨは王座についたわずか2年で病床に臥します。
その時に、ワン・ソに自身の死後息子の面倒をみてくれるように頼んでいました。
タイムトラベラーチェ・ジモン
ヘ・スが池に落ちる前にあった男性を覚えていますか?
あの男性の名前は、崔知夢(チェ・ジモン)。
なんと、チェ・ジモンは実在する人物でした。
『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』では、ヘ・スと同じタイムトラベラーとして登場しています。
チェ・ジモンは、現代の池の側で浮浪者のように佇んでいました。
ヘ・スに向かって「人生は簡単に変えられない。新たに生き返らない限り…。」と声を掛けます。
その後、ヘ・スはタイムスリップ!
ヘ・スは、高麗時代でチェ・ジモンと再会するのです。
ヘ・スはチェ・ジモンを見てびっくりします。
『あの時のホームレスのアジョシ(おじさん)ですよね?』と聞きました。
しかし、チェ・ジモンは答えません。
ずーっと後半までとぼけ続けるのでした。
これは、ドラマの脚色されたストーリーです。
しかし、チェ・ジモンは皇帝の良き理解者であり天文学で国を占う天文学者として実在していた人物です。
やがてドラマ後半で、チェ・ジモンは、
「人生は簡単に変えられない。新たに生き返らない限り…。」
とつぶやくのです。
さらに、ドラマの最終回でもチェ・ジモンが登場。
なんと今回は、現代です。
現代に戻ったコ・ハジン(ヘ・ス)に『高麗時代はヘ氏でしたね』と話しかけます。
チェ・ジモンは下記のような能力があったと史実に記されています。
- 予知能力があった
- 高麗の初代国王・王建が朝鮮半島を統一するのを予言した
- 占いを行っていた
- 天文観測を行い占星術を行っていた
崔知夢は代々の高麗国王に仕え第6代成宗まで活躍していたそうです。
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まとめ:韓国ドラマ『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』ヘスは実在の人物?
このページでは、『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』のヘ・スや皇子は実在の人物かどうかを解説しました。
実際には、高麗時代の史実とドラマの演出としてフィクションを織り交ぜて制作されていました。
そのため、ヘ・スは実在の人物ではなかったようです。
ワン・ソの顔の傷やヘ・スとの恋愛模様についてはドラマの演出。
しかし、8人の皇子に関しては全員実在した人物でした。
さらに、権力争いに転じていくシーンなどは史実を基に描かれています。
第10皇子ワン・ウンには史実では妻がいませんでした。
よって、ドラマでの妻スンドクはフィクションです。
最後までお読みいただきありがとうございました。