ドラマ『イ・サン』『赤い袖先』は実話をベースに作られたドラマです。
2つのドラマの共通点は、主人公が世孫イ・サン。
後に朝鮮王朝第22代王、正祖(チョンジョ)となります。
それでは、詳しく見て行きましょう。
『イ・サン』『赤い袖先』は実話?
ドラマ『イ・サン』『赤い袖先』。
この2つは、実話をベースに作られています。
時代劇ドラマの制作は現代に伝えられてきた史実に再現しなければなりません。
なぜなら、視聴者がドラマを実際の話として認識されてしまうことがあるからです。
特に、海外の視聴者はドラマを実際にあった話としてとらえてしまう傾向にあります。
『イ・サン』『赤い袖先』のように実在した人物を主人公とする場合は、実際にあった事件を参考にして作られます。
ドラマなので多少の脚色や、架空の人物を絡ませることもあります。
しかし、『イ・サン』『赤い袖先』に登場するヒロインのソン・ソンヨン(ドギム)は実在の人物です。
モデルとなったのは正祖の側室・宜嬪 成氏(ウィビン ソンシ 의빈 성씨)。
実在の人物で本当にイ・サンから寵愛を受けた女性でした。
さらに、ワファンはじめ王族や高官については、ほぼ実在する人物。
大きな事件も実際にあった出来事となっています。
ソンヨンやドギムは実在の人物?
『イ・サン』『赤い袖先』に登場するソンヨンとドギムは同一人物です。
プロフィールをご紹介しますね。
生年月日:1753年 8月6日
没年月日:1786年 11月4日(旧暦9月14日)
名前:成徳任(ソン・トギム)
称号:宜嬪(ウィビン)
父:成胤祐(ソン・ユンウ)
母:林氏
夫:李氏朝鮮 第22代王・正祖
子供
男子(早世)
李㬀(イ・スン) 文孝世子
翁主(早世)
死去(妊娠中に死去)
ソンヨン(ドギム)の生い立ち
1753年に産まれた、成徳任(ソン・トギム)。
以下、『イ・サン』の役名ソンヨンと書いて行きます。
13代明宗の時代。
小尹派によって大尹派が粛清された事件で一族は没落しました。
父のソン・ユンウは洪鳳漢(ホン・ホンバン)の使用人となります。
洪鳳漢は恵慶宮の父。正祖の外祖父(母の父)です。
4歳のとき、母の林氏が死亡。
10歳でソンヨンは父のソン・ユンウが洪鳳漢の使用人だった縁で宮女になりました。
父親のソン・ユンウは、洪鳳漢のコネで役職に就いたものの横領で逮捕されてしまいます。
ソンヨンは、正祖の母・恵慶宮洪氏つきの侍女になりました。
1766年頃。
当時世孫だった正祖はソンヨンを見初めます。
しかしソンヨンは辞退します。
理由は世孫嬪(後の孝懿王后)がまだ子供を産んでいないこと。
宮女が王の命に背くのは死を意味します。
それでも辞退したソンヨン。
正祖はソンヨンの気持ちを理解して命を奪うことはなかったそうです。
正祖の母・恵慶宮も正祖の寵愛をうけるように助言します。
だが、かたくなに辞退し続けるソンヨン。
1773年(英祖49年)。
ソンヨンは21歳のとき、正祖の妹・淸衍公主(20歳)、淸璿公主(18歳)、
宮女ヨンヒ、キョンヒと共に小説「郭張兩門録」を書きました。
正祖はソンヨンの筆文字は素晴らしいと褒めたといいます。
ソンヨン(ドギム)寵愛を受ける
1780年(正祖4年)。
再び正祖が寵愛を受けるように命を下します。
ソンヨンは正室にまだ子供が無いことを理由に辞退。
ところが正祖は引き下がりません。
正祖はソンヨンの使用人を呼びつけ諭しました。
ようやくソンヨンは王の寵愛を受け、その年に懐妊。
やがて承恩尚宮(正五品)に昇格となります。
さらに讌華堂という名の寝所を与えられています。
まだ側室という位ではない女官にこのような待遇をすることは異例のことでした。
ソンヨンが暮らす讌華堂は王の寝所として使われた熙政堂の近くにあったといいます。
ソンヨンはやがて最初の子供を産みましたが死産。
その2年後、1782年(正祖6年)。
ソンヨンは、懐妊します。
姑である恵慶宮洪氏はソンヨンの為に実家から連れてきた乳母や使用人を送って助けました。
正祖には、まだ男子の後継ぎがなくソンヨンに期待がかけられていたのです。
正祖は、まだ尚宮の身分だったソンヨンの為に、異例の速さで出産時に設置される臨時の部署を設置。
そして、ソンヨンは讌華堂で李㬀(イ・スン、後の文孝世子)を無事出産するに至ります。
ソンヨンはイ・スンを生んだその日に正三品 昭容になっています。
1年後スンヨンは宜嬪に昇格。
1784年(正祖8年)イ・スンは世子(文孝世子)に。
ところが1786年(正祖10年)5月のある日、文孝世子がはしかで亡くなってしまいました。
文孝世子が亡くなった4か月後、懐妊していた宜嬪は出産時に他界。
旧暦9月14日の事です。
ソンヨン(ドギム)の死
ソンヨンの死因は出産時、心臓に負担がかかったからだと史実には残っています。
もともと心臓の病があり世子の死が重なり心労が大きかったのでしょう。
ソンヨンの死を悲しんだ正祖は号泣したと言います。
恵慶宮が心配するほどの悲しみようだったそうです。
ソンヨンは、文孝世子とともに孝昌墓(現在の孝昌公園)に埋葬されました。
ソンヨン(ドギム)は殺された?
ソンヨンの死因は先ほども書きましたように病気だと史実に書かれています。
しかし朝鮮王朝実録にはこのように続きます。
「宜嬪の症状は尋常ではなかったので何か原因があるのではないかと当時の人々は疑った」
ソンヨンの死から数か月後の1786年(正祖10年)12月1日。
貞純大妃がこのような内容の文を書いているのが残っています。
「宮嬪ひとつが死んでも心を痛めることはない」
貞純大妃と正祖の母・恵慶宮と言えば、犬猿の仲。
恵慶宮がかわいがっていたソンヨンのことを貞純大妃は快く思っていなかったようです。
このようなことがあり正祖は宜嬪の死を疑い始めます。
やがて内官のイ・ユンムクの名前が浮上。
イ・ユンムクがソンヨンを毒殺したと正祖は結論づけてしまいました。
正祖はイ・ユンムクの首をはねて、極刑の命を言い渡そうと考えていたようです。
しかし周囲の反対で島流しにとどめました。
その後、正祖は考えを改めイ・ユンムクを釈放。
ソンヨンの薬は医学を勉強した正祖自ら調合していたので、毒を盛ることはできなかった
と思いなおしたのです。
正祖はあまりにも悲しいのでソンヨンが毒殺されたと考えたくなる気持ちも分かります。
しかしソンヨンを殺しても得をする人は誰もいなかったのです。
貞純大妃にしても後継ぎを失ったソンヨンを殺す意味がないのです。
だけど、もしかしたらソンヨンが王から寵愛されていることで、
いつか後継ぎを生み勢力を拡大するとでも思ったのかもしれません。
今となれば真実は闇の中です。
ソンヨン(ドギム)の死後
ソンヨンが亡くなった後、迎えたのがスビン(綏嬪)です。
正祖の正室であるヒョイ王妃とも仲が良く側室の鑑と称された人物。
何事にも控えめで質素なスビンは世子、純祖を生みます。
11歳で第23代王となるのでした。
正祖が亡くなるや否や若い純祖に変わって貞純大妃が摂政を採るようになってしまいます。
その後キム・ジョスンにより貞純ら老論僻派を退け、長かった派閥争いが終結。
ここから安東金氏による勢道政治が60年も続くことになるのです。
和緩(ファワン)
あなたは和緩(ファワン)を覚えていますか?
ファワンは英祖(ヨンジョ)の娘で正祖の父である思悼世子(サドセジャ)の実の妹です。
『イ・サン』『赤い袖先』2つのドラマで悪事を働いていましたよね。
正祖の父とファワンはとても仲が悪かったそうです。
正祖の父は、米びつに閉じ込められて餓死をした悲しみの世子。
米びつに閉じ込めるためにワファンは兄の素行の悪さを父に告げ口をしたと言われています。
ドラマ『イ・サン』ではワファンを名指しで米びつ餓死事件の首謀者だと言っていました。
ワファンは父に溺愛されていたため、父が生きている間は優雅に王宮の暮らしを満喫。
しかし王が崩御し兄が王になった今。
後ろ盾を失ったワファンを助ける者は誰一人いません。
ワファンは日ごろから素行が悪く、高官や宮中に使える者たちから嫌われていたそうです。
正祖は父を米びつに閉じ込めた者たちに徹底的に報復しています。
人々はワファンもきっと厳しい処罰を受けると期待していました。
しかし正祖は英祖の喪が明けるまで和緩への対応を保留。
やがて英祖の喪が明けると、正祖は和緩が自決することを言い渡します。
ところがワファンは拒絶。
仕方なく、「流罪として遠島に送れ」と命じました。
前の王の娘を死罪にすることは、儒教に反するとして苦慮した結果が島流しというわけです。
数年後には正祖はワファンを都に戻します。
ワファンは王女として晩年を過ごすことができたのです。
女官の呼び名
『イ・サン』のソンヨンや『赤い袖先』のドギムは、
茶母→画員→スンウン(承恩)→ソヨン(昭容)→ウィビン(宜嬪)
呼び名が変わっています。
これは役職や身分、階級によって呼び名が違うからです。
史実に残っているソンヨンの最初の役職は図画署の茶母ではありません。
イ・サンの側室ファビン(和嬪)の寝殿にいた女官でした。
これは『赤い袖先』では、ファビン(和嬪)の寝殿の女官として正しく描かれています。
イ・サンはファビンに心を動かすことがなく女官のソンヨンを見初めたのです。
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まとめ:『イ・サン』『赤い袖先』は実話?ソンヨンやワファンは実在の人物?
このページでは、ドラマ『イ・サン』『赤い袖先』は実話なのかどうかを解説しました。
結論は実話をベースに作られたドラマでした。
2つのドラマの共通点は主人公が世孫イ・サン。
後に朝鮮王朝第22代王、正祖(チョンジョ)となります。
ドラマに出てくる王族や高官はほとんど実在した人物です。
さらに、ドラマで描かれている事件も史実が基になっています。
ただ歴史に残されていない部分はフィクション。
『イ・サン』『赤い袖先』は監督や脚本家が上手に脚色して作り上げた物語です。
歴史に残されていない部分は想像力を駆使して製作されています。
そして主役を演じたイ・ソジンさん、ジュノさん俳優陣も
実在した人物像を想像し研究を重ね入念に役作りをして演技をされていると推測できます。
最後までお読みいただきありがとうございました。